2015.06.22
新着情報
三条実美公ゆかりの「何遠亭」一般公開へ!
山口湯田温泉にできた新たな観光スポットの紹介です。
幕末に起こった七卿落ち(※1 8月18日の政変)という出来事で、
京都から逃れた公家・三条実美公が身を寄せた何遠亭(かえんてい)を模した建物が
今日から一般公開されます。(現在、室内は土壁の状態で、乾燥したのち漆喰を塗り12月には完成)
外務卿などを歴任した井上馨の生家(現・井上公園内)に増築された離れで、勤王の志士たちとの謀議の場にもなったとされています。
何遠亭の名称は論語の『何の遠きことか 之有らん』が由来で、「(都に帰るのに)遠いことなどあろうか,きっと都に帰れる」という意味があります。
より良い国づくりをめざした公卿・勤王の志士たちに思いをはせてみませんか。
何遠亭見学は無料です。
(※1)1863年8月18日(文久3年)、会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派が尊王攘夷派の急先鋒長州藩を
京都から追放した事件。この時同じく尊王攘夷派の三条実美ら7人の公卿も長州藩へ落ちのびた。
幕末に起こった七卿落ち(※1 8月18日の政変)という出来事で、
京都から逃れた公家・三条実美公が身を寄せた何遠亭(かえんてい)を模した建物が
今日から一般公開されます。(現在、室内は土壁の状態で、乾燥したのち漆喰を塗り12月には完成)
外務卿などを歴任した井上馨の生家(現・井上公園内)に増築された離れで、勤王の志士たちとの謀議の場にもなったとされています。
何遠亭の名称は論語の『何の遠きことか 之有らん』が由来で、「(都に帰るのに)遠いことなどあろうか,きっと都に帰れる」という意味があります。
より良い国づくりをめざした公卿・勤王の志士たちに思いをはせてみませんか。
何遠亭見学は無料です。
(※1)1863年8月18日(文久3年)、会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派が尊王攘夷派の急先鋒長州藩を
京都から追放した事件。この時同じく尊王攘夷派の三条実美ら7人の公卿も長州藩へ落ちのびた。
当館庭園内にも七卿落ちに関する遺跡が残っておりますので合わせてご覧くださいませ。
→七卿落ち遺跡
→七卿落ち遺跡