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三百余年の歴史が息づく廻遊式日本庭園

司馬遼太郎著「街道をゆく 長州路」に登場する赤松

六月十日、山口ニテ雨。アカマツ。と、私の手帳にある。「アカマツ」とそれだけメモをしてあるのは、この宿の、おそらく作庭して二百年以上は経ているらしい庭の赤松が、こまかい雨に濡れて枝もその根方の翠苔(すいたい)もじつにあざやかであった。その印象を忘れぬためにかいておいた。
司馬遼太郎「街道をゆく」- 長州路 -より抜粋
 

明治維新の志士達がここ松田屋に集い、偉業を成し遂げました

■七卿落ち(しちきょうおち)遺跡
江戸時代徳川幕府末期、1863年(文久3年)天皇の側近三条実美(さねとみ)らは、長州藩とともに政権横奪の野心ありとの疑いをかけられ、身の危険を感じた実美ら七人の公卿は、一時京都を逃れ長州へ落ちのびた。七卿らはしばしば松田屋に来遊滞泊して、勤王の志士らと討幕の密議を画策した。湯田に滞在中の三条実美は、朝倉八幡宮に詣でた際に持ち帰った松を松田屋の庭園に手植えし、一首の和歌をしたためた。
『時しあらば よにあひおひの ひめ小松
君にひかるる こともありなむ』
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■西郷・木戸・大久保会見所
1867年、薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀(こまつたてわき)らが、薩長同盟の確認と薩長連合軍による倒幕出陣の具体的協議のため山口へ来た折、長州藩士の木戸孝允・伊藤博文・広沢真臣(ひろさわさねおみ)らと共に松田屋へもしばしば来駕し会談したと云われています。
 
 

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