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明治維新と松田屋


■明治維新と松田屋ホテル
新たなる時代の幕開けを夢見て、志士達がここ松田屋に集い、
明治維新の偉業を成し遂げました。
 
■高杉晋作・憂国の楓(ゆうこくのかえで)
勤皇派の雄、長州藩・奇兵隊の隊長として名を残した高杉晋作は、倒幕攘夷の密議画策の場として松田屋に出入りしていた。高杉が松田屋玄関横にあった楓の幹に所感を刻み込んだ文字が大正になって偶然発見され、現在は貴重な歴史的遺物として松田屋明治維新資料室に保存されている。
盡国家之秋在焉(国家ニ盡スノトキナリ)
 
■七卿落ち(しちきょうおち)遺跡
江戸時代徳川幕府末期、1863年(文久3年)天皇の側近三条実美(さねとみ)らは、長州藩とともに政権横奪の野心ありとの疑いをかけられ、職を剥奪された。身の危険を感じた実美ら七人の公卿は、一時京都を逃れ長州へ落ちのびた。七卿らはしばしば松田屋に来遊滞泊して、勤王の志士らと討幕の密議を画策した。湯田に滞在中の三条実美は、朝倉八幡宮に詣でた際に持ち帰った松を松田屋の庭園に手植えし、一首の和歌をしたためた。
 
『時しあらば よにあひおひの ひめ小松
君にひかるる こともありなむ』
   
■維新の湯
維新の湯の浴槽は、徳川幕府末期1860年につくられたもので、当時長州、薩摩、土佐の勤皇の志士 高杉晋作・木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通・伊藤博文・大村益次郎・山県有朋・井上馨・坂本竜馬らや七卿落の公卿三条実美らが、しばしば松田屋で会合して、倒幕・皇政復古の密議をしたときに入浴使用したと云われる歴史的文化財です。
   
 

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