明治40年(1907) |
柏村謙助・フク夫婦の長男として、山口町大字下宇野令村(現在の山口市湯田温泉)で誕生。 |
大正3年(1914) |
7歳/下宇野令尋常高等小学校入学。 |
大正4年(1915) |
8歳/弟亜郎病没。後にこの年亜郎のために最初の詩作をしたと記録。謙助、養子縁組により、一家は中原性に。 |
大正9年(1920) |
13歳/県立山口中学入学。この年「婦人画報」「防長新聞」に投稿の短歌が入選。以降大正12年までに80余首が入選。 |
大正12年(1923) |
16歳/落第が決まり、京都の立命館中学に転入学。高橋新吉「ダダイスト新吉の詩」を読み、傾倒。 |
大正13年(1924) |
17歳/4月、長谷川泰子と同棲。この年ダダイズム風の詩や小説「耕二のこと」、戯曲「夢」などを書く。 |
大正15年・
昭和元年(1926) |
19歳/日本大学予科文科入学。しかし家族に無断で9月には退学。 |
昭和3年(1928) |
21歳/謙助没。喪主でありながら帰省・参列せず。 |
昭和6年(1931) |
24歳/東京外国語学校専修科仏語部入学。弟恰三病没。追悼詩を知人・安原喜弘に送る。 |
昭和7年(1932) |
25歳/「山羊の歌」編集を終えるも資金不足で刊行に至らず。本文を安原喜弘に預ける。 |
昭和8年(1933) |
26歳/東京外国語学校専修科修了。遠縁にあたる上野孝子と結婚。 |
昭和9年(1934) |
27歳/長男文也誕生。12月に「山羊の歌」刊行。 |
昭和11年(1936) |
29歳/長男文也病没。5日後、次男愛雅誕生。 |
昭和12年(1937) |
30歳/「在りし日の歌」を清書。10月に結核性脳膜炎を発病、22日永眠。 |
昭和13年(1938) |
愛雅病没。「在りし日の歌」が刊行される。 |
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